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github-actions[bot] committed Dec 27, 2024
1 parent c30a83b commit 2ab69d9
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Expand Up @@ -3,4 +3,20 @@ title: 結び― イエスとその言葉を知る
date: 21/12/2024
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### この日課はまだ完了されていません。もう少し後で戻ってきてください。
> <p>暗唱聖句</p>
> あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。(ヨハネ 5:39、新共同訳)
> あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。(ヨハネ 5:39、口語訳)
### 今週の聖句

ヨハネ 21 章、ヨハネ 11:9、10、ヨハネ 8:42 - 44、ヨハネ 4:46 - 54、IIテモテ 3:16、ヨハネ 15:1-11

ヨハネによる福音書は、マルコによる福音書と同様、ガリラヤでの再会で終わります。この最終課の研究では、その再会を扱いますが、それを、第四福音書を貫いている、私たちがイエスと神の言葉をどのように知るかという主題と結びつけます。

イエスと 3 年以上一緒にいて、これから起こることを何度もイエスが告げられていたにもかかわらず、弟子たちは、十字架刑と復活に対する準備ができていませんでした。

残念なことに、彼らはイエスの言葉をそのまま信じていなかったのです。

今日、私たちも同じことをする危険性があります。神の御言葉を聞いたり、読んだりしても、それに耳を傾けず、それにとどまらず、それに従わないことがありうるのです。つまり、御言葉を私たちの思考と行動を導くべき光として受け入れないのです。残念なことに、知らず知らずのうちに、あまりにも多くのクリスチャンがこのような状態に陥っています。

ヨハネによる福音書の最後の研究となる今週、私たちはこの福音書の重要なポイントをいくつか見ていきます。それらのポイントは、私たちがイエスを単に頭で知るのではなく、彼をよりよく知り、彼とその言葉により親しくなるのに役立ちます。
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title: 日課
title: ガリラヤでの再会
date: 22/12/2024
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### この日課はまだ完了されていません。もう少し後で戻ってきてください。
`ヨハネ 21:1-19 を読んでください。ここでは、特に神の恵みとそれに対する人間の謙虚さについて、どんな重要な真理が明らかになっていますか。`

ヨハネ 20 章は、この福音書の目的を記して終わっており、ここで締めくくるのが理にかなっていますが、さらにもう1 章あります。21 章は、何人かの弟子がガリラヤに戻り、ペトロが湖で一晩過ごすことを提案するところから始まっています。まるで昔が戻ってきたかのように、その弟子たちはかつての職業であった漁に戻ります。しかし、その夜は何も獲れませんでした。

朝になると、岸辺に立つ、見知らぬ人が、舟の右側に網を打つようにと彼らに告げます。すると、網を引き上げられないほどの魚が獲れました。それは、イエスとの働きが始まったときのようでした(ルカ 5:1 - 11 参照)。ヨハネはすぐにイエスだと気づき、ペトロに伝えると、彼はすぐに海に飛び込み、陸まで泳ぎました。

イエスはペトロに三つの質問をなさいましたが、いずれも主に対する愛についての質問でした。十字架刑が執行される前、ペトロはイエスのために命を捨てると主張しましたが(ヨハ 13:37)、その時、イエスは、ペトロが三度にわたって否認することを預言されました(同 13:38)。このガリラヤでの再会で、ペトロは自分自身を基準点にせず、むしろイエスを基準点にしています。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます」(ヨハ 21:17)。

ある人は、イエスがペトロに質問する際に、(3 回目を除いて)「アガパオー」という(「愛する」という意の)ギリシア語動詞を使っておられるのに対して、ペトロが毎回「フィレオー」という(友人として「愛する」という意の)動詞で答えていることに注目しています。つまりペトロは、より高い次元の愛に至っていないことを暗に伝えているのです。

実際、ペトロの返事は、謙虚さに焦点を合わせています。これまで何度も失敗を経験しているので、彼は、「より低い次元の言葉」を謙虚に用い、あえて自分を主張しすぎないようにしたのでしょう。そして、この謙虚さこそがイエスのお認めになったものであり、ペトロを宣教活動に復帰させるうえで極めて重要なものでした。疑いもなく、謙虚さは宣教にとって最も重要な資質の一つです。なぜならその焦点は、自分でなく、イエス・キリストだからです。

ペトロの復帰と初代教会の指導者としての役割は、イエスが復活されたことを示す最も強力な証拠の一つです。イエスがペトロを宣教活動に復帰させられなかったなら、彼の目覚ましい働きを説明することは難しいでしょう。
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title: 日課
title: イエスから目を離さない
date: 23/12/2024
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### この日課はまだ完了されていません。もう少し後で戻ってきてください。
`ヨハネ 21:20-22 を読んでください。ペトロを誤った道に導いたのは、どんな質問でしたか。イエスはどのようにその道を正されましたか。`

イエスはペトロを宣教の働きに復帰させ、「わたしに従いなさい」(ヨハ 21:19)と言われたばかりでした。おそらく、岸辺で実際にイエスのあとに従っていたのでしょう。ペトロが振り向くと、ヨハネもイエスのあとに従って来るのが見えたので、ペトロはヨハネについてこう尋ねました。「主よ、この人はどうなるのでしょうか」(ヨハ 21:21)。

ペトロを宣教の働きに復帰させる際に、イエスは彼の死に方を予告されました(ヨハ 21:18)。ペトロはヨハネの死についても興味を持っていたようです。しかしイエスはペトロの関心を、ほかの弟子に何が起こるかを心配するのではなく、イエスに従うという問題に向けさせられました。

`ヨハネ 21:23-25 を読んでください。イエスの言葉は、どのように誤解されましたか。使徒ヨハネは、その誤解をどう解きましたか。`

弟子たちは、イエスが言われたことの意味を誤解しました。「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい」(ヨハ 21:22)。彼らは、ヨハネが死ぬ前にイエスが戻って来られるという意味だと思ったのです。時が過ぎ去り、ヨハネが年を取るにつれて、もし彼が死んで(もちろん、彼は死にましたが)、イエスが戻って来られなかったら、大変なことになるでしょう。ヨハネは、それはイエスのご意志の問題であって、何が起こるかの預言ではないことを示して、この誤解を解いています。

ほかの人に焦点を合わせるのではなく、イエスに焦点を当てるという考えは、今週の残りの研究にも強くつながっています。イエス、そしてイエスだけが私たちの救い主です。人々は必ずあなたを失望させ、もしかしたら傷つけることさえあるかもしれません。

火曜日から木曜日にかけて扱う真理は、イエスを知り、イエスに従うことを目的として、神の言葉を理解するという主題を取り上げます。イエスは、ほかの人が私たちに与えてくれる助け、助言、導きとは関係なく、私たちの主であり、導き手です。
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title: 日課
title: 光と闇
date: 24/12/2024
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### この日課はまだ完了されていません。もう少し後で戻ってきてください。
`次の聖句を読んでください(ヨハ 1:4-10、3:19-21、5:35、8:12、9:5、11:9、10、12:35)。ここにはどんな大きな対比がありますか。この対比は、真理を理解するうえで、なぜ基礎となるのですか。`

この世は闇の中にあります。それは光を避け、真の神(天地創造、啓示、あがないの人格神)への道を自力で見つけることができません。

「人間は1人で神についての知識に到達することはできない。『それは天よりも高い、あなたは何をなしうるか。それは陰よ府みよりも深い、あなたは何を知り うるか』(ヨブ 11:8)。『子たる身分を授ける霊』のみが、神について『目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮びもしなかった』深い事柄をわれわれに示すことができるのである(ローマ 8:15、Iコリント 2:9)。『そして、それを神は、御霊によってわたしたちに啓示して下さったのである』(Iコリント 2:10)」(『希望への光』886 ページ、『各時代の希望』第 45 章)。

イエス・キリストだけが、父なる「神を示された」(ヨハ 1:18)のです。「示す」に相当するギリシア語の動詞「エクセーゲオマイ」には、「解釈する」「説明する」「解説する」という意味があります。ヨハネは、イエスを天の使者として、神を知るとはどういうことかを説明するお方として紹介しています。イエスを通してのみ、私たちは神を真に知ることができるのです。

ヨハネ 8:42-44 を読んでください。イエスは、イスラエルの宗教指導者たちが信仰の基盤としていた誤った土台について、どのように説明しておられますか。

真理に立っていない者は、自分の本性から話します。彼らは人間的な視点からしか聖句の意味を「見ない」からです。一方、私たちは、キリストが世の光であることを受け入れ、御言葉の解釈において彼に従わなければなりません。それに反して、悪魔は「自らの本性」(ヨハ 8:44)から語ります。もし注意を怠り、神への信仰と従順に身を委ねていないなら、私たちも同じことをしてしまう危険性があります。自分の欲望、欲求、視点だけに基づいて聖句を読むことは、私たちが思っているよりもずっと簡単にやってしまうことなのです。

`あなたを不快にする真理に対して、あなたはどう応じますか。`
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title: 日課
title: 「上」からの神学、「下」からの神学
date: 25/12/2024
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`ヨハネ 4:46-54 を読んでください。この役人は、どんな問題をイエスのところに持ち込みましたか。ここでの真の根本的問題は何でしたか。`

この男は、世の光であるイエスのもとに来ましたが、イエスが自分の子どもをいやしてくださった場合のみ信じようと心に決めていました。この男の神学は、「下からの神学」だったと言えるでしょう。下からの神学は、神と神の言葉に対して規則や基準を定めます。人間の考えが、欠陥があり、限界があり、主観的であるにもかかわらず、神の言葉をどのように解釈するかの最終的権威となるのです。なんと危険な罠わなに陥ることでしょう!

それとは対照的に、「上からの神学」は、まず神と神の言葉を信じる信仰によって応答します(ヨハ 4:48、6:14、15、IIテモ 3:16)。聖書が信仰によって受け入れられるとき、聖書は聖書自身の解釈者となります。その時代の哲学ではなく、聖書の世界観が聖書を理解し、解釈する指針なのです。人間の見解は、神の言葉に服従し、従わなければならず、その逆であってはなりません。

もし私たちがイエスの言葉を信じたいのであれば、聖書の言葉を信じなければなりません(ヨハ 5:46、47)。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である」(ヨハ 8:31)。もし私たちが神の言葉を疑うなら、それは私たちの内にとどまることができません(同 5:38)。「わたしを拒み、わたしの言葉を受け入れない者に対しては、裁くものがある。わたしの語った言葉が、終わりの日にその者を裁く。なぜなら、わたしは自分勝手に語ったのではなく、わたしをお遣わしになった父が、わたしの言うべきこと、語るべきことをお命じになったからである」(同 12:48、49)。

神の言葉を聞くというのは、情報を受動的に受け取る以上のことです。神の御心を行うことでもあるのです。そして、これが御言葉を聞くことへの能動的な反応です。「この方の御心を行おうとする者は、わたしの教えが神から出たものか、わたしが勝手に話しているのか、分かるはずである」(ヨハ 7:17)。

そして、このように神の言葉を聞いて行うことが、神に対する愛の表現なのです。「イエスはこう答えて言われた。『わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む』」(ヨハ 14:23)。

`イエスに対する私たちの愛と服従の間には、どんな関係がありますか。愛に基づかない「従順」は、なぜ律法主義に陥る危険性があるのでしょうか。`
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title: 日課
title: イエスの内にとどまる
date: 26/12/2024
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### この日課はまだ完了されていません。もう少し後で戻ってきてください。
`ヨハネ 12:32 を読んでください。この印象的な言葉は、イエス・キリストの権威をどのように説明していますか。`

今期の研究を通して見てきたように、ヨハネによる福音書は私たちをイエスに引き寄せますが、それは私たちが進んで神を知り、神の御心を行おうとする場合に限られます。この福音書の至るところで、イエスに出会った人々は、光を受け入れて成長するか、光を拒んで盲目になるかのいずれかです。ニコデモ、井戸の女、王の役人、ベトザタの池の男、パンと魚で養われた 5000 人、イエスの兄弟、宗教指導者たち、生まれつきの盲人、マリアとマルタ、ピラトなど、すべての人がイエスと出会い、彼がもたらす真理と光を選択しました。

下からの神学は、神の存在と性質を見極め、検証するための人間の議論から始まります。欠陥があり、堕落し、偏見に満ちた人間の視点が、神聖で完全で全知なる視点よりも優先されるのです。人間の知恵が神に取って代わろうとし、偽りの礼拝をこの世に強要しようとするとき、下からの神学は、過去にそうであったように、将来でも、間違いなく人々を誤った方向に導きます(黙 14:1-12 参照)。

`ヨハネ 15:1-11 を読んでください。霊的成長と健康の秘訣は何ですか。`

その秘訣は、イエスとのつながりを保つことです。イエスは、「神の言ことば」「命のパン」「世の光」「羊の門」「良い羊飼い」「復活と命」「道」「真理と命」「まことのぶどうの木」です。

三位一体の神とその言葉である聖書は、磁石のようなものです。抵抗しなければ、私たちはそれらに引き寄せられていきます。「神の声は御言葉を通して私たちに語りかけているが、私たちが聞くことになる声はたくさんある。しかしキリストは、『ここにキリストがいる』、また『あそこにいる』と言う人たちに気をつけるべきだとおっしゃった。そうであれば、すべてを聖書に照らすことなく、彼らが真理を持っていないといかに知ることができるだろうか」(『アドベント・レビュー・アンド・サバス・ヘラルド』1888 年 4 月 3 日号、英文)。私たちは自分自身の見解を、神の言葉の中に示されている見解に従わせなければなりません。
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