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――直視できない。弥代は思わずつかさくんから視線を逸らしてしまう。
弥代は生まれてこの方、まともに男性の目を見ながら話をしたことがない。――それどころか、そもそも父親以外の異性と二~三言以上の会話を継続させた記憶すら、弥代のそれほど長くない人生を振り返っても、見当たらないという事実がそこにあった。
良くも悪くも、人間は環境に適応する生き物だ。自身が存在している環境に合わせて、人は進化もするし退化もする。
男性と話す必要のない――むしろ話す機会すら得られなかった弥代の、"対異性コミュニケーションスキル"は、ちょっと使い物にならないレベルで退廃してしまっていたのだった。
「はははひ、はじめまひて……み、みょっちれす……」
ゴニョゴニョとした口籠った口調。
滑舌が悪く聞き取るのが困難な声量。
――ひくひくと痙攣する朱色の頬と、小さくて紅い唇が僅かに歪んでいる。笑っているんだか泣きそうなんだか、傍目からでは判別不可能。
唯一、その眼差しだけはハートマークでも浮かびかねない程、喜色に輝いているが、その先――視線の先は、焦点が定まることがなかった。
よもや一言、口を開いただけで、ただそれだけで、弥代は全身から濃厚な"喪女オーラ"をこれでもかというほど醸し出してしまっていた。
常人であれば、この時点で『うわ、キモッ』、全身に鳥肌を立たせながら、早々に逃げ出しかねない程の、有り様だった。
「はいっ、みよっちさん! でも、あれですね! メールでずっとお話してたのに、『はじめまして』なんて、自分で言ったことなのに、なんだかおかしいですよね。えへへへ」
「そ、そうね、う、ふふ、面白い、ふふ、ふふふふ」
――そんな残念すぎる弥代に対して、しかし、"つかさ"は弥代の駄目っぷりをまるで気にした様子もなく、朗らかに笑いながら会話を楽しんでいる様子だった。
「ふぇへ、へへ、……、えと、き、今日は、て、天気よくて、あと、えと……、じ、時間、まだ、早いのに……その、びっくりし、しちゃった」
「びっくりしたのは、ボクの方ですよっ! まだ約束の一時間も前なのに、みよっちさんってば、もう待ってるんですもんっ!」
要領を得ず何が言いたいのだかよくわからぬ弥代の発言。
そんな殺人的キラーパスを受け止めて、"つかさ"はぷんすかと頬を膨らませながら、これまた弥代にとって殺人的なほどの可愛さと愛想を振りまいて、言葉のキャッチボールを難なくこなして見せた。
「(ぐぁあああっ、可愛すぎる可愛すぎる可愛すぎるぅうううっ! でも無理ぃっ、眩しすぎて顔を合わせられないぃいいいっ!)」
弥代は思わず、チラリと"つかさ"くんに顔を見たかと思えば、すぐに慌てて目を逸らしてしまう。
――その時、彼が肩からぶら下げているトートバッグのとある一点が、彼女の視線を引きつけた。
「(――あ、初代の、しかもザ○Ⅰのキーホルダーだこれ)」
弥代は昨日届いたメールの文面を回想し、胸中で暖かな鼓動が跳ねるのを感じた。
"つかさ"くんのような、世界三大美男ですら嫉妬に狂いかねない程の容姿を備えた少年が、その身にロボットアニメの……しかも初代のマイナーで渋い機体のキーホルダーを付けているというのは、酷くアンバランスな印象感じてしまう。別に弥代が強要したわけでもないのに、なんだか悪いことをさせてしまっているかのような、不思議な罪悪感も少々。
けれど、いま、自分の目の前にいるこの天使が、偽りなく昨日までメールのやり取りをしてくれていたあの"つかさ"くんに間違いないのだという確信が、弥代のテンパった心情を少しだけ落ち着かせた。
――、などというほっこりタイムはわずか数瞬のこと。
「(ていうか、ホントにこの子可愛すぎるんじゃないかしらこれ。厚着だけどその上からでもわかるくらいスタイル抜群だし、服から覗ける首筋から肩らへんペロペロしたいっていうか、もうどこでもいいからペロペロしたいっていうか、写真で見るより数倍は可愛いっていうかもうこの可愛さは犯罪でしょコレ、なんでどうしてこんなに可愛い男の子が世に野放しになってるのよこれ、日本の法律どうなってるのよちゃんと取り締まりなさいよこれもう。いつまでも私の理性を過信するんじゃないわよマジで、もうこれもうそこのザ○Ⅰ私と変わりやがれポケットに入ってたハイチュウあげるから――)」
――次の瞬間には、口に出したら、わいせつな行為をしたとして青少年保護育成条例違反の疑いで御用にされてしまいかねないような思考を巡らせつつ、バッグから視線をずらしてその腰つきをギラついた瞳で観察し、調子に乗ってそのまま目線を上へ上へと上げてみれば、抱き締めたりしたら抱き締められたりしたらさぞ気持ちよさそうな肉付の上半身へと移行して行き、最後にはまた"つかさ"くんの、生の御顔を目の当たりにして、耐えられなくなってすぐさま明後日の方向へと視界をずらすという、複雑な工程を、僅か数秒間で弥代は行っていたのだ。
"つかさ"くんのご尊顔を眺めてみたいという衝動と、異性と間近で相対することに対する、出処のわからぬ根拠なき恐怖心。
それらが納豆とスパゲッティの如く、相性がいいんだか悪いんだか、個人的には嫌いではない程度の按配で程よくブレンドされ、"挙動不審"としか表現できない仕草をとってしまうのだ。
「つ、つかさくんて……」
「はいっ、どうかしましたか?」
「あ、えっと、しゃ、写真と同じ顔らのね、つ、つかか、つかさきゅん、て、あ、えと、別に、それがどうしたっわけでなくて、あの、えっと、えっと……うぅ」
「そりゃそうですよ~。でも、写真は結構頑張って、可愛く撮ったんです ……あ、逆に、実物みてがっかりしちゃいました……?」
「そそそそ、そそそんなわけアルカイダ」
「ほ、ほんとですか?」
「う、嘘なわけない……、逆に、その、写真よりも、可愛くて、びっくりした……、――はっ!?」
言って。全身から血の気が引く感覚に襲われる弥代。
――今の台詞は、自分のようなド底辺の不細工女が軽々しく口にしてよい文面ではなかった。
何せ、自分で発言をしておいて、我ながらこれはキモいと思ってしまったのだ。
というか、それ以前に『写真と同じ顔なのね』って何事なのかと。噛みまくってどもりまくっているのもマイナスポイントだ。
言われた本人はたまったものではないだろう。
ここに来て地雷を踏み抜いてしまうなんて……――。と、弥代は自らの安易な発言を深く後悔しようとしたが、
「え、えへへ、可愛いなんて。お世辞でも、みよっちさんに言われると嬉しいですっ、えへへへ……」
「……え、えへへぇ……(え、なにこの反応、えっ?)」
にへら、と。頬を緩ませる"つかさ"の様子に、弥代が懸念した『地雷を踏み抜いてしまった』感触は見受けられない。
それどころか、自分なんぞのおべっかに、本気で嬉しそうにしているような――。
人の顔色を窺ったり、場の空気をリーディングするという能力の乏しい弥代をして。
目の前で、照れたように微笑む男の子からは、取り繕っているとか、無理をしているというような様子は感じられなかった。
「えへへ、ホントはドキドキしてたんです。メールでお話してた『みよっち』さんって、どんな人なのかなぁって……。とっても優しそうな人で、すっごく安心しました!」
「や、ヤサシソウッ!? だ、誰が……、いや、なに、それ――?」
弥代は裏返った声で反復する。
ヤサシ草? なに科の植物なのだろうそれは、今の季節生えているのだろうか――、などと、弥代の凝り固まった卑屈な精神が、正常な思考を奪ってしまったのだ。
「誰って、もう、『みよっちさん』がって、言ってるじゃないですか~っ」
「あ、あぅ……うぅ~~っ……」
こんな風に、正面から男の子に褒められたのは初めてだった。
そもそも男の子に笑いかけてもらったのだって生まれて初めてだったし、繰り返しになるが、男の子と面と向かって、コミュニケーションを成立させることが出来たのだって、やっぱり生まれてこの方、初の体験であったのだ。
「(――会話って、こんなに楽しいことだったんだ……)」
弥代は今、確かに幸福の絶頂にいた。何せ、公園で"つかさ"と会ってから今まで、わずか短時間の間に、弥代が生涯で異性と交わした会話時間に匹敵するほどの長時間、会話が成立していた。
三日前からメールでやり取りしていた分を含めれば、もう一生分の"異性と会話する権利"を使い果たしてしまったのではないかと心配になるほど、それは濃厚で濃密なひと時だった。
「――つ、つつ、つかさきゅんって、えと、やっぱり、つかさくんなの?」
「……ん、……んっと?」
――ふと、会話が途切れる。
"つかさ"は、弥代の質問を受けて、にこやかな表情はそのまま、しかし、僅かに戸惑いを隠しきれなかったかのように、少しだけ首を傾げてしまう。
――また、やっちまったのよ……。なに今の、『つかさきゅんって、つかさくんなの?』って、意味不明。なに、哲学? IQテスト? しかもさり気なくもなく『つかさきゅん』呼ばわりとか、我ながらドン引きですじゃよ。
……なんで私はこうなんだ。今すぐ人生をリセットして、今、この瞬間をやり直したい。
せめてもう少し、口が回るように訓練をして、この瞬間に臨みたい――ッ、弥代は心の中で滝のように涙を流す。
この公園にやってきてからというもの、弥代の心境はもはやジェットコースターだった。
自分の愚かなコミュ症っぷりと、"つかさ"の反応に、一々心をかき乱されている。
「あ、あぁああ、あ、あぁの、えとえと、そそそ、その、な、なな、名前……」
「――あぁっ! はい、そうなんです。ボク、今村司って言います! 司だから、『つかさ』なんですよ!」
――『名前』で、わかったのかこの子。
どんだけコミュニケーション能力が高いのよ――と、弥代は俄かに戦慄する。
コミュ力最底辺に位置する弥代にとって、"つかさ"、もとい、司の"行間を読み解く能力"は、もはや計測不能の域にあった。
「わ、わたしも、わたしは、みな、水無月、みよ……弥代だから、みよっち……って」
「あはっ、僕とお揃いなんですね~っ」
「お、お揃いっ?」
「だってそうじゃないですか。ボクもみよっちさんも、下の名前をハンドルネームにしてるんですもん、お揃いでしょっ?」
「そ、そうね、う、うふ、お、おそろい……、つかさきゅんと、おそ、おそろい……ぅ」
司が何気なく口にした、『お揃い』という言葉。
ただそれだけで、最高潮に到達していた弥代のテンションが、まるで冷や水をかけられたかのように冷めていく。
手に余る幸福は、もはや有毒だ。
――常に蔑まれてきた人生。
――ついさっきだってリア充カップル相手に、盛大なヘマをやらかしたところだった。
醜い容姿。常に後ろ指を差されながら、笑われて、気持ち悪がられて生きてきた。
流石に、生まれてこなければよかったなどと大それたことは言わない。け
れど、こと“人間関係”、それも“異性との思い出”に限って言えば、良いことなんか一つもなかった。と、本心から言える。
「……、みよっちさん?」
「……あ、あぅ……」
対して、この子はどうだ。まるで神々の寵愛をその小さな一身に全力で享け賜ったかのような容姿。
自分のような、コミュ症・オブ・コミュ症を相手取ってすら、会話を成り立たせてしまうほどのコミュ力。
真逆だ。
――『お揃い』なところなんか、何一つ無い。明らかに、住む世界が違う。
「みよっちさん、みよっちさん」
「な、なに?」
人目もはばからず鬱に入りかけて、絶賛降下中の弥代の心境を知ってか知らずか、司は、「あのですね……」と、もじもじと、指先をツンツンと、いじらしくも愛らしい行動で弥代の心をときめかせたかと思うと、
「ボク、みよっちさんのコレクションを見せてほしいんです!」
「……――へ、あっ」
暫し、思考が停止する。
――そうか。
私は徹頭徹尾、写真の中に映った超絶可愛い男子"つかさ"くん目当てで来たけれど、この子は違うんだ。
「(『私』じゃなくて、『私の作ったプラモデル』に興味があって、会いにきてくれたんだった!!)」
――それは、普通の人にとっては落ち込むべきところだったのかもしれない。しかし、徹底的に自分を卑下しきっている弥代にとって、それはむしろ僥倖であった。
少なくとも、『つかさきゅんが弥代のことを悪く思っていない』などという妄想よりは、数百倍しっくりくる理由だった。
「う、うんっ、いぃ、いいよっ、あ、えっと、ちょっとだけ、ここで待ってて――」
「え、待ってて?」
「す、すぐ取ってくるから、家、近いから、その」
「あ、いやいや、だから――」
恥ずかしそうに俯きながら、悪戯っ子みたいに破顔して、司は言う。
「お家、お邪魔しちゃ駄目かな~、なんて……」
「は、はぇっ!?」
――急激にボルテージを上げる弥代の心臓。
今日はじめて顔を合わせた男の子が……、天界から降りたもうた、常世の存在かどうかすら怪しいほどの美男子が、絶望的に不細工な喪女が一人で暮らすアパートに、お邪魔しちゃう……?
まるで現実感がない。普段、一人で致している妄想の中ですら、もう少しまともなシチュエーションを考えるものだ。
「ダメ……ですか?」
「~っ! ……あ、いや、全然だいじょぶ……、え? じゃ……、ホントに、く、来る……?」
司の甘えるような仕草にキュンとしつつ、半ば放心しながら、弥代は反射的に聞き返す。
「はいっ! よかったぁ~、えへへ、嬉しいなぁ! それじゃ、早速行きましょう!」
一転、満面の笑みを咲誇らせながら、司はスキップでもするかのような足取りで、弥代のすぐ傍へと近づいてくる。
――そして何の躊躇もなく、弥代の細くて長い指先へと手を伸ばし、自身の指を絡めた。
「―――~~~っっ!? っっっ!!??」
重なり合った手のひらと絡められた指の間から伝わる、ひんやりとした柔らかさに、弥代の女としての本能が全身で歓喜に震える。
なにが起こったのか、理解をするのに数秒を要した。
“つかさきゅんに手を繋いでもらってる”と。弥代がようやく現実を把握したころには、繋いだ手のひらが仄かな暖かさを灯しだしていた。
「ほら、早く、行きましょうよっ! ね?」
先導しようとする司に引っ張られるようにして、弥代は覚束ない足取りで歩き出す。豊満すぎるバストが、不規則に波を打った。
――全身を有り余る幸福感に包まれて、『男の子の手って、なんだか、あったかくて、やわらかくて、こう、こんなに気持ちよかったんだぁ』などと、夢見心地になりながらも――、
「(なんで? なにを考えてるの、つかさきゅん……?)」
その胸中で、長年培われてきたネガティブで卑屈な心根が、ゆっくりと芽吹こうとしていた。
――なにかが、おかしい、と。